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肘折温泉の古地図は4種ある
肘折温泉の古地図は4種ある。これらを、社寺や共同浴場などの公共施設の位置や家並み等から推定される作成年代の順に紹介する。これらの古地図を比較観察すると、様々なことがわかってきて、興味が尽きない。
(1) 最上肘折図
縦 27.7cm×横 40.4cm 山形大学名誉教授の故長井政太郎氏が収集したもの。(山形県郷土館文翔館蔵)
この図に描かれている家数は よく言われる「肘折28軒」と一致する写実的絵図で、現存するものの中で最古のもの。作製年代は、江戸時代の文化14年(1817年)以降(中央の「秋葉山碑」が描かれているので)と推測できる。
(2) 羽州村山郡飛ちお里ノ図
縦 33cm×横 110cm 山形大学附属博物館蔵。
作製年代は、江戸時代の元治元年(1864年)。荒谷村(現山形県天童市)の村形家の人たちは 代々肘折温泉をこよなく好み、文雅に秀でた人々であったようである。絵図を見ると、上の湯の南隣に「火の用心道具入」の小屋があり、現在、消防用具を収納しているところと全く一致していて感慨深い。
羽州村山郡飛ちお里ノ図 (地図をクリックすると拡大します)
元治元甲子年八月入湯いたし図ス
(3) 肘折温泉全図
縦 37cm×横 53cm 作製年代 明治30年(1897年)。
温泉街の家並みの実際をうかがい知ることのできる詳細な写実は見事。さらに、左上には「郵便税」と表記があり、郵便に関する事情が読み取れる。右上の「温泉効能表」も当時を知るための資料として貴重なもの。元々のものは銅板画であるといわれており、今でも時折骨董市などに出てくる。
(4) 最上郡肘折温泉図
下の絵図2種共に縦 38cm×横 48cm。明治30年代に温泉土産として作製販売され、その後の学校移転などにあわせて部分的補正をしながら販売されたもの。左のA図が原盤に近いもので小学校移転前のものである。右のB図は小学校校舎が現保育所の位置にあることより明治36年(1903年)の建設以降の絵図であることがわかる。(右図は温泉の効能と分析表を除いて掲載した。)
最上郡肘折温泉図 A |
最上郡肘折温泉図 B |
(以上の地図参考:『大蔵村史集落編』p58、p468他より)