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肘折温泉郷の話題

肘折温泉の歴史と概要


肘折温泉■歴史

開湯は今から約1200年ほど前の大同2年(西暦807年)。
豊後国(現在の九州大分県)出身の源翁が、この地を訪れた際に山中で道に迷ってしまった。途方にくれていたところ、老僧より肘を折った際に治療した温泉を教えられた、という開湯伝説が残っている。
その老僧こそが地蔵権現であるといわれ、住んでいた洞窟が現在「地蔵倉」と呼ばれるようになった。そして今では縁結びの神として参詣が絶えない。
それ以後、近郷の農山村の人々が農作業の疲れを癒す温泉場として利用され、また骨折や傷に有効な湯治場としてに賑わっている。
温泉名もこれに由来して「肘折温泉」となったとされるが、民俗学者の柳田國男による、銅山川がここで大きく曲折していることによる地形からの命名という説もある。
銅山川第百代後小松天皇の御代明徳2年(1391)の正月2日に、初めて温泉場として開業したとも伝えられる。

 

江戸時代には、肘折温泉は月山を始めとする出羽三山への参道口として多くの参詣客を集めた。
肘折温泉には、天台宗寺院である「阿吽(あうん)院」が建てられ、現在も、月山の登山口として「肘折口」があり、登山道が整備されている。一方、葉山修験の拠点としても、真言宗寺院である「蜜蔵院」があった。
肘折温泉は出羽三山、葉山両山への参道口として多くの宿坊があった。

 

斎藤茂吉(さいとう もきち)も昭和20年頃に訪れている。


こけしの系統の一つとして肘折系があり、かつては多くのこけし工人がいたが、現在では鈴木征一一人となった。
鈴木征一は昭和19年生まれ。47年から奥山庫治のもとで5年間修業し、52年から作品を発表し、木地描彩ともに優秀で人気がある。
全国こけし祭り(宮城県大崎市鳴子温泉町)などで最高賞を獲得している。


平成元年10月16日、環境庁告示第48号により、肘折温泉郷として黄金温泉、石抱温泉とともに国民保養温泉地に指定された。

 

■概要

肘折温泉(ひじおりおんせん)は、山形県最上郡大蔵村(旧国出羽国、明治以降は羽前国)にある温泉。
「肘折カルデラ」と呼ばれる直径2kmのカルデラ(窪地)の東端に位置しており、カルデラの中心に位置する黄金温泉、最奥部の秘湯である石抱温泉などとともに肘折温泉郷を形成している。
温泉街の一角にある「小松渕」は、トロイデ型(鐘状)火山の噴火口が渕になったものである。肘折カルデラは、現在気象庁によって活火山に指定されており、肘折温泉郷全体が「肘折火山」のマグマ溜りの上に位置している。

 

日本有数の豪雪地帯としても有名であり、冬季の積雪量は4メートルを越え、肘折の積雪量が全国ニュースでも度々紹介されている。